2008/9/28 日曜日

ヘルパー2級の実習(施設介助編)ヘルパー2級の実習(施設介助編)

カテゴリー: 福祉, 議員日誌 — keisuke @ 14:45

9月24・25日と老人保健施設においてヘルパーの実習をさせていただきました。いわゆる老健施設といわれるところで、入所者は50人強です。7割は女性の方です。1人で歩ける方から寝たきりの方々まで様々ですが、2日間で多くのことを学びました。実習生なので、まともな介護はまだやりませんが、先輩に付いて一通りの仕事をそばで見させていただき学びました。お風呂介助は洗ったり流したりはさせていただきました。最も気がかりだったいわゆる“しも”のお世話ですが、テキパキと諸先輩はこなしており、また、ひどい状況にも出くわさなかったのである意味“期待はずれ”でした。壮絶な戦いを予期していたので、残念です。いわゆる“床ずれ”を始めて見ました。介護のスタッフと医療のスタッフで入浴させて治療してという流れでしたが、大変痛々しいものでした。入所者の方々は基本的には皆さん暇で、じっと黙って座っている時間が随分あります。ゆっくりと時間が過ぎるのも良いのですが、頭は退化しちゃいそうです。寝たきりの方のオムツ交換はさすがに施設ですから結構まめに行っていると思いましたが、この仕事は人生の最後の部分に関わるのだという事を改めて実感しました。肺炎などにならない限り、この方はもうすぐここで亡くなるのだと思われる方も何人かいらっしゃいました。衰えてゆく命に関わるこの仕事は、内面も身体にもタフな仕事です。私も後はデイサービスの実習を終えてレポートを出せば、2級ヘルパーさんになりますので、更に実践を積ませていただきたいと思います。

2008/9/20 土曜日

ヘルパー2級の実習(同行訪問編)ヘルパー2級の実習(同行訪問編)

カテゴリー: 福祉, 議員日誌 — keisuke @ 16:46

16日と19日の2日間、訪問介護の実習に行ってきました。宇都宮の事業所さんで受け入れてもらって、同行訪問しました。この事業所さんは特徴があって、主に障害者の支援が多い事務所です。私はヘルパーさんの仕事はてっきり寝たきりの老人介護がほとんどだろうと思っていましたから、視野が広がりました。知的障害のあるお母さんの日常生活支援で、掃除や食事の指導権支援というものを学びました。知的障害のある子供のお迎えと送りの支援を学びました。視力障害のある1人暮らしの方の生活支援を学びました。脳梗塞による麻痺のあるお年寄りの生活支援を学びました。訪問と訪問の間は、認知症の方ばかりのデイサービスでレクレーションを学びました。いろんな支援が存在することを学べたことはありがたかったです。知的でも身体でも障害のある方の暮らしがヘルパーによって支援され、普通の方の暮らしに格段に近づくことが出来ることを知りました。方や、その生活を支えてゆく行政の支出の大変さも感じずにはいられませんでした。制度を知らないで劣悪な環境で我慢している障害者がきっと沢山いるはずだと思い、矛盾はありますが、制度のPRは必要だと思いました。次回は老人保健施設に実習に行く予定です。

2008/9/1 月曜日

第2回 環境とリサイクルを考える会シンポジウム終了第2回 環境とリサイクルを考える会シンポジウム終了

カテゴリー: ごみ問題, 議員日誌 — keisuke @ 22:32

8月31日に真岡市で表題のシンポジウムが行われました。真岡市議会議員の七海さんが主催で、私も1部発表しました。一緒に焼却施設などへ行政視察に行きましたので、その内容を少しお話しました。改めてまとめてみると、一言で言えば、ごみ焼却施設に、灰溶融炉を併設することは、問題がありそうだということです。何しろ建築資材として使われるはずの灰溶融スラグが、実際はほとんど使われていないからです。灰を溶融して固めて、再利用するから全くごみにならないという売り込みですが、結局宇都宮市は年間7300トンも埋めてるし、佐野は山になって困ってるし、能書きと随分違っています。そんな話を私はして、全体的には、ごみの減量が第一で、紙ごみはもちろんさっさと再資源化を進めて、その先は、どの切り口から見ても生ごみの堆肥化を進めるべきで、世界中見ても当たり前のことだ。ということです。自宅で近所同士で自治会で、やれるところから始めてゆこう。行政も後押ししてね!という感じでまとまったと思います。真岡の福田市長も環境課長の笹島さんも挨拶を終えてから、ずっと居てくださいました。伝わってくれればと思います。あわてず急いで応援して欲しいものです。このシンポジウムの模様は、真岡のケーブルTV〝いちごテレビ〟でそのうち放送するそうです。いいシンポジウムであったと、主催者側の一員として自負しております。

2008/8/27 水曜日

ホームヘルパー2級講座受講終了ホームヘルパー2級講座受講終了

カテゴリー: 福祉, 議員日誌 — keisuke @ 15:55

6月から毎週火曜日に通っておりましたヘルパー講座全9回が終了しました。後は5日間の実習が終われば一応ヘルパー2級取得者となります。ホームヘルパーはお年寄りのご自宅での介護を主に仕事として行うための資格で、実際デイサービスや老人施設など、お年寄りの施設で介護を仕事とする場合も必要な資格でしょう。一緒に11人の受講生が居ましたが、みな理由は様々。身内の介護に生かしたい方、仕事に生かしたい方、定年後の社会貢献に生かしたい方など様々です。私は介護施設経営に携わるかもしれないので、現場を知るために必要なので受講しています。これから実習で更に体験し、その後も知り合いの施設で少し使っていただこうと思っています。今まで直接知ることが無かった世界ですが、今後介護を受ける人とその身内の方がどーんと増えてくるのですから、この世界を内側から知っていないと、議員さんとしても正しいものの見方が出来ないと思いました。福祉に関わる方々の平均的な収入は他の職業の7割程度といわれています。しかし、キツイ汚い給料安いでは人が去ってゆきます。対象者は増えて対応者は減る一方では成り立ちません。厚生労働省の役人さんもヘルパーとして半年くらい年寄りの下の世話でもしてから制度を考えればよいのにと思う。私も現場で働かせていただこうと思います。私も巾を少しでも広げなければと思っています。

2008/8/23 土曜日

二宮金次郎像来たる!二宮金次郎像来たる!

カテゴリー: 教育, 議員日誌 — keisuke @ 12:38

先日ようやく二宮金次郎像を手に入れて、本日場所を吟味して御鎮座いただきました。パチ!パチ!パチ!・・。私は二宮尊徳に深く教えを乞うておりまして、この偉人の事をもっと知りたい、もっと教えを身に着けたい、実践して行きたいと思っております。幼少の頃からの貧困にくじけず、苦学して学問に秀でて、更に家を再興したことが昔の教科書に多く取り上げられ、積小偉大・勤労勤勉・分度推譲など、多くの徳目の実践例として教えられましたが、戦争の手垢にまみれ、現在の教育からは遠ざけられてしまいました。尊徳先生は益子でも農業指導をしてくださっていますし、現二宮町にある桜町陣屋にて26年もお過ごしくださり、この地域の発展におご尽力されたご当地の大偉人なのです。私は当時としては目を見張るような技術と理論に優れたその農業指導に目を丸くするばかりでなく、当時の代官はじめ領主にも、飢饉を招いた責任を自覚させ大いに反省を促し、彼らの生活と考えを改めさせて質素倹約に向かわせたことが非常に尊敬の念を抱く所以であります。沢山の語録や理論が弟子達によって伝えられていますので、そこから今学んでいます。早く人様にお伝えできるように勤学いたします。そのための力強い心の見方として、金次郎像が来てくれたことは喜びなのです。写真のように非常にお顔の綺麗なブロンズ像で、大きさも高さが90センチあり、出来も非常によく気に入っています。いまは学校でもあまり見られなくなったので、久しぶりに見たい人は、いつでも事務所に来てください。

8月の本日までの事!8月の本日までの事!

カテゴリー: ごみ問題, 教育, 福祉, 議員日誌 — keisuke @ 11:55

7月のまとめに続きまして、8月の本日までの主だったことを書きます。地元自治会の盆踊りと隣の自治会の盆踊りが前半に2週連続でありまして、どちらも歌や太鼓や笛で参加いたしました。日光和楽や新囃子を、子供達と一緒に演奏したのですが、地域の集まりにはやはり多くの子供達が来てくれると盛り上がります。お囃子会はいい役割を果たせていると感じ、お世話していて良かったと思いました。8日には久しぶりにお年寄りの集まりを見せていただきました。駅舎で毎週金曜日に行っている会とお達者会、同日行っていた幼児のもんちっちクラブも見てきました。お年寄りの方々が相変わらず皆さんお元気で楽しんでいらしたことがうれしく、今後もこの事業を継続拡大して行けたらいいと思いました。9日は、国会図書館に出向き調べ物を行いました。国会図書館は初めてでしたが、本を借りる仕組みが変わっていて、年寄りでは無理ではないかな?パソコンできないと厳しい借り方でした。この日は長崎の原爆の日でもあり、今年は所用で15日に行けないので、靖国神社に参拝してまいりました。朝でしたので人もまばらでしたが、警備は物々しかったです。朝から暑い日でしたが、原爆の暑さは如何ほどであったかを考えれば、熱いなどと言っていられませんでした。お盆は妻の実家館林と、妻のいとこの初盆で前橋に行きました。今年もやはり群馬は暑かったです。妻のいとこは50歳で急性肺炎であっという間に亡くなってしまいました。仕事優先で身体を後にした暮らしがたたったようです。健康は何よりの宝です。深く感じました。22日は作新大学の教授とごみシンポジウムの打合せに行きました。このところ連日夜、31日に行う、ごみ減量化のシンポジウムについて打合せをしており、コーディネーターをしていただく作新大学の丹羽先生と打合せでした。その後県庁へ行き、会計課、財務課、市町村課を回り調べ物を済ませました。

さて、本日から(しばらくは・・)間をあまりおかずに書き込みますので、チェックをよろしくお願いします。

2008/6/30 月曜日

東京de寺子屋・台湾近代教育の父、六士先生東京de寺子屋・台湾近代教育の父、六士先生

カテゴリー: 教育, 議員日誌 — keisuke @ 13:55

28日に表題の通り、六士先生の事を学びました。全く始めて聞く名前でしたが、実に立派な方々です。現在日本では教えていない立派な先人達が五萬と居る事をいつも気づかされます。日清戦争の勝利によって日本が台湾を統治した際、現地での日本語教育のために真っ先に派遣された6人の先生達が、半年後に6人全員ゲリラに惨殺された事件が在りました。ゲリラの危険を指摘されながらも、教育に携わる文官として危険だからといって職務をゆるがせには出来ないと非難を断った先生方でした。事件当時第2陣の先生方が募集されていましたが、事件が伝わった後でも500名ほどの応募があり、そのうち45人が選ばれ、事件から半年後に台湾に赴任しています。六士先生の志を継いで、更に毎年教員を増やし、日本による教育は浸透し、統治開始当時1%だった台湾の就学率は70%にまで達して、結果的に近代台湾発展の礎となりました。初めての民選による台湾総統となった李登輝他をはじめ、日本統治時代の教育や徳育のプラス面を訴える人は多いのです。台湾も朝鮮も同じですが、日本が統治したところでは教育を重んじると共に、インフラ整備や技術移転など統治先への投資が膨大で、決して搾取するばかりの欧米の植民地政策と同じではなかったのです。欧米列強の植民地政策を追い出し、純粋に大東亜共栄圏を目指した多くの日本人が居たことを、公教育では一切教えてくれません。立派な日本人作りはどうやってなしえるのか。自分事として取り組むために、寺子屋には通い続けます。

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