先人の言葉」カテゴリーアーカイブ

利休

奥田昭三著 「茶味」より


利休言

・《和啓清寂》 「和ぎて流れず啓して諂わず清して潔く寂して躁(あわただし)うせざれ」

「礼の用は和を貴しとなす・・孔子」。敬とは自己に対して慎み、他人に対して敬う心。清は清潔・清廉、物と心の清である。寂は心の落ちつき、その一挙手一投足にも心の落ちつきを宿すこと。

・《茶の湯の極意》 「夏はいかにも涼しきやふに、冬はいかにもあたたかなるやふに、炭は湯のわくやふに、茶は服のよきやふに、これにて秘事はすみ候」

真の自由

如何なる境に臨んでも、今・茲・我ということを忘れず、和敬静寂の自らなる働きによって所作に何らの躊躇がない。法に従えば、従容として一糸乱れず、法を破れば、突嗟の働きによって、更に一境を開く。無碍自在。「白雲の長空を飛ぶ」がごとくである。これが真の自由である。

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孔子・孟子

孔子

 
・ 君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝悌は其れ仁の本為るか
人格と徳と品位の高い人は、根本の修養に努力する。根本が確立すると生き方(道)が分かるからだ。父母に尽くし目上を敬うこと《孝悌》が他者を愛する心、人間愛《仁》の根本なのだ。

・ 巧言令色鮮なし仁

他人に対して人当たりがよくことばを巧みに飾りたてたり外見を善人らしく装うのは実は自分のためというのが本心であり、仁すなわち他者を愛する気持ちは少ない

・ 剛毅木訥は仁に近し

〈剛〉物欲に左右されないこと〈毅〉志がくじけないこと〈木〉質朴で飾り気の無いこと〈訥〉心に思っていることはしっかりしているが、口下手でうまくいえないこと、は、それぞれ仁・人の道に近い

・ 学びて思はざれば則ちくらし 思いて学ばざれば則ちあやうし

知識や情報を沢山得ても思考しなければ活かせない。逆に思考するばかりで知識や情報が無ければ独善的になる

・ 義をみて為さざるは勇なきなり

ただしいと分かっていながら実行しないのは勇気がないからである

・ 徳弧ならず 必ず隣あり

人格の優れている人は必ず1人ではないその人を慕って人が集まってくるものだ

 

 

 

孟子

 
・ 生を養い死を喪して憾み無きは王道の始めなり
生者を十分に養い、死者を十分に弔って遺憾の無いようにさせることが王道の始なのである。

・ 自ら反みて縮くんば千万人といえども吾ゆかん  (松蔭が好んだ)

自分が熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら断固として前進すべし

・ 七年の病に三年のもぐさ

七年もかかる大病には早くから薬草を用意しておかなければならないのに、三年も乾燥させた良質の艾を急に求めようとしても間に合わない

 ・ 吾が老を老として人の老に及ぼし 吾が幼を幼として人の幼に及ぼす

自分の身辺の年寄りを年寄りとして敬いつかえ、ついでその心を広く他人の年寄りの上に及ぼしてゆく。又身近の幼いものを幼いものとして慈しみ愛し、ついでその心を広く他人の幼いものの上に及ぼす

 

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西郷隆盛(南洲) 南洲翁遺訓より

西郷隆盛(南洲)  南洲翁遺訓より


敬天愛人・・道ハ天地自然ノ物ニシテ人ハ之レヲ行フモノナレバ、天ヲ敬スルヲ目的トス。天ハ人モ我モ同一ニ愛シ給フユエ、我ヲ愛スル心ヲ以テ人ヲ愛スル也

道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生などに、少しも関係せぬもの也。事には上手下手あり、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れども、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人もなし。故に只管ら、道を行い道を楽しみ、もし艱難に逢うて之を凌がんとならば、、いよいよ道を行い道を楽しむべし。予、壮年より艱難という艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会うとも動揺は致すまじ。それだけは仕合せなり。

文明とは・・「文明とは正義のひろく行われることである。豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」

幾歴辛酸志始堅 丈夫玉砕恥瓦全 一家遺事人知否 不為児孫買美田・・幾たびか辛酸を嘗め志始めて堅し 丈夫玉砕するも瓦全を恥ず 一家の遺事人知るや否や児孫のために美田を買わず

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吉田松陰 留魂録より・  ほか

吉田松陰 留魂録より

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身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置まし大和魂

十月念五日    二十一回猛士

※吾の得失当に蓋棺の後を待ちて議すべきのみ・・私の人間としての在り方がよいか悪いかは棺の蓋をおおった後、歴史の判断にゆだねるしかない

※今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり・・今日私が死を目前にして平安な心境でいるのは春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである

※義卿三十、四時己に備わる 亦秀で亦実る・・私は三十歳、四季はすでに備わっており花を咲かせ実をつけているはずである。だから安心して死を迎えている。

※万巻の書を読むに非ざるよりは 寧ぞ千秋の人たるを得ん・・沢山の書物を読まなければ、永年にわたって名を残す不朽の人となることは出来ない。

※一己の労を軽んずるに非ざるよりは 寧ぞ兆民の安きを致すを得ん・・自分で労を惜しまずに働く人でなければ、どうして天下国家の民を幸せにできようか

※皇神(スメカミ)の誓ひおきたる国なれば 正しき道のいかで絶ゆべき・・天照大皇神の神勅のある以上は、日本は滅びはしない。だから正しい道を貫き通さねばならぬ

※世の人はよしあしことも言わば言え 賎(シズ・自分を下げた言い方)が誠は神ぞ知るらん・・ペリーの船から降ろされ、浜で失意の内に詠んだ

※かくすればかくなるものと知りながら 已むに已まれぬ大和魂・・下田の獄から江戸へ押送されるとき、泉岳寺の前で、赤穂義士の霊に手向けた詩

※歳月は齢と共にすたるれど 崩れぬものは大和魂・・松下陋(ロウ・小さい)村なりといえども 誓って神国の幹となさん・・・共に再び野山獄へ投ぜられるときの詩

高杉晋作から質問された〝丈夫の死〟について松蔭の回答…・・・「・・死は好むべきに非ず、亦悪(ニク)むべきに非ず。道尽くして心安んず、使ち是死所。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。僕が所見には生死は度外に措きて、唯言ふべきを言ふのみ」

ほかの人のサイトに載っていた松蔭の名言です。借りてきました。

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二宮 尊徳 (金次郎)

明治天皇が買われた金次郎像

 

報徳訓

父母の根源は転地の令命にあり                            身体の根源は父母の生育にあり                            子孫の相続は夫婦の丹精にあり                            父母の富貴は祖先の勤功にあり                            わが身の富貴は父母の積善にあり                            子孫の富貴は自己の勤労にあり                            身命の長養は衣食住の三つにあり                           衣食住の三つは田畑山林にあり                            田畑山林は人民の勤耕にあり                              今年の衣食は昨年の産業にあり                                    来年の衣食は今年の艱難にあり                              年年歳歳報徳を忘るべからず

貧富訓

遊楽分外に進み 勤苦分内に退けば 即ち貧賤其の中にあり            有楽分内に退き勤苦分外に進めば 即ち富貴其の中にあり

万象倶徳(報徳博物館元館長、佐々井典比古)

どんなものにもよさがある どんなひとにもよさがある                    よさがそれぞれみなちがう よさがいっぱいかくれてる                               どこかとりあがあるものだ もののとりえをひきだそう                              ひとのとりえをそだてよう じぶんのとりえをささげよう                            とりえととりえがむすばれて このよはたのしいふえせかい

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明治天皇 

教育に関する勅語

朕(チン)惟(オモ)フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳オ樹(タ)ツルコト深厚ナリ我カ臣民克(ヨ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世ソノ美ヲ済(ナ)セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源(エンゲン)亦(マタ)實ニ此ニ存ス爾(ナンジ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭検(キョウケン)己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以(モッ)テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進ンテ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重(オモン)シ国法ニ遵ヒ一旦緩急(カンキュウ)アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮(テンジョウムキュウ)ノ皇運ヲ扶翼(フヨク)スヘシ是ノ如キハ独リ朕ガ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン斯(コ)ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶(トモ)ニ遵守スヘキ所(トコロ)之ヲ古今ニ通シテ謬(アヤマ)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(モド)ラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺(ケンケンフクヨウ)シテ咸(ミナ)其(ソノ)徳ヲ一ニセンコトヲ庶(コヒ)幾(ネガ)フ            明治23年10月30日  御名御ジ

五箇条の御誓文

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし                                                一、上下心を一にして、盛んに経綸を行うべし                                            一、官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦まざらしめん事を要す    一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし    一、智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし                 我国未曾有の変革を為さんとし、朕躬を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き協心努力せよ。 明治元年 三月十四日

御製

目に見えぬ神にむかいてはぢざるは人の心のまことなりけり

日にみたび身をかえりみし古の人のこころにならひてしがな

あらし吹く世にも動くな人ごころいはほにねざす松のごとくに

あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな

世の中の人のかがみとなる人の多くいでなむわが日の本に

いかならむ事に会ひてもたわまぬはわがしきしまの大和だましひ

すすみゆく世に生まれたるうなゐにも昔のことは教えおかなむ

いかならむ時にあふとも人はみなまことの道をふめとおしへよ

国のため力つくさむわらわべを教ゆる道にこころたゆむな

世はいかに開けゆくともいにしへの国のおきてはたがへざらなむ

おもふこと思うがままになれりとも身を慎まむことな忘れそ

心ある人のいさめのことのはは病なき身の薬なりけり

世の中の人の司となる人の身のおこなひよただしからなむ

おのが身はかえへみずして人のためつくすぞ人のつとめなりける

物学ぶ道に立つ子よおこたりにまされる仇はなしとしらなむ

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勝 海舟 《 氷川清話より 》

勝 海舟 《 氷川清話より 》

 

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全体、おれがこの歳をして居りながら身心共にまだ壮健であるといふのも、畢竟自分の経験に顧みて、いささかたりとも人間の筋道を踏み違えた覚えが無く、胸中に始終この強味があるからだ。

万一さういふ逆境にでも陥った場合にはぢっと騒がずに寝ころんでいて、また後の機会が来るのを待って居る。そしてその機会が来たならば透かさずそれを執まへて、事に応じ物に接してこれを活用するのだ。

行政改革といふことはよく気を付けないと弱いものいじめになるョ。おれの知っている小役人の中にもこれまでずいぶんひどい目にあったものもある。全体、改革といふものは、公平でなくてはいけない。そして大きいものから始めて小さいものを後にするがよいョ。言いかえれば、改革者が一番に自分を改革するのさ、実践躬行をやって、下の者を率いていればうまく出来る。

人は何事によらず胸の中から忘れ切るといふことが出来ないで、始終それが気にかかるといふやうではなかなかたまったものではない。いはゆる座忘といって、何事もすべて忘れてしまって胸中闊然として一物を留めざる境地に至って初めて、万事万境に応じて横縦自在の判断が出来るのだ。

いはゆる心を明鏡止水のごとく磨ぎ澄ましておきさえすれば、いついかなる事変が襲うて来てもそれに処する方法は自然と胸に浮かんで来る。いはゆる物来たりて順応するだ。

世に処するにはどんな難事に出あっても臆病ではいけない。さあ何程でも来い、おれの身体がねぢれるならばねぢって見ろ。といふ了簡で事を捌いて行く時は、難事が到来すればする程面白味が付いて来て、物事は雑作もなく落着してしまうものだ。

何でも大胆に無用意に打ちかからなければならない。どうせうか、かうせうかと思案してかかる日にはもういけない。むつかしからうが易からうがそんなことは考えずに、いはゆる無我といふ真境に入って無用意で打ちかかって行くのだ。もし成功しなければ成功するところまで働き続けて、決して間断があってはいけない。世の中の人はたいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きてしまふから大事が出来ないのだ。

根気が強ければ敵も遂には閉口して味方になってしまふものだ。確乎たる方針を立て、決然たる自信によって知己を千歳の下に求める覚悟で進んで行けば、いつかはわが赤心の貫徹する機会が来て、従来敵視していた人の中にも互いに肝胆を吐露しあふほどの知己が出来るものだ。区々たる世間の毀誉褒貶を気にかけるよふでは到底仕方ない。

仕事をあせるものに仕事のできるものではない。せつせつと働きさえすれば儲かるといふのは日偏取りのことだ。天下の仕事がそんな了見で出来るものではない。

全体封建制度の武士といふものは田を耕すことも要らねば物を売買することも要らず、そんなことは百姓や町人にさせておいて自分らはお上から禄を貰って、朝から晩まで遊んでいても決して喰うことに困るなどといふ心配はないのだ。それゆえに厭でも応でも是非に書物でも読んで忠義とか廉恥とか騒いでいなければ仕方なかったのだ。それだから封建制度が破れて武士の常禄といふものがなくなれば、したがって武士気質も段々に衰える。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態妙を穿ち、人情の微を究めてしかる後、共に経世の要務を談ずることが出来るのだ。机上の学問に凝らず更に人間万事に就いて学ぶ。その中に在する一種のいふべからざる妙味をかみしめて、しかる後に机上の学問を活用する方法を考え、また一方には心胆を錬って確乎不抜の大筋を立てるように心掛けるがよい。かくしてこそ初めて、十年の難局に処して誤らざるだけの人物となれるのだ。

世間の人はややもすると芳を千歳に遺すとか臭を万世に流すとかいってそれを出処進退の標準にするがそんなケチな了見で何が出来るものか。男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけの事さ。あてにもならぬ後世の歴史が、狂といはうが賊といはうがそんな事は構うものか。要するに処世の秘訣は“誠”の一字だ。

政治家の秘訣はほかにはないのだよ。ただ正心誠意の四字しかないよ。道に依て起ち道に依て坐すれば草莽の野民でもこれに服従しないものはない筈だよ。

今も昔も人間万事金といふものが土台であるから、もしこれが無かった日には、いかなる大政治家が出ても、到底その手腕を施すことは出来ない。見なさい、いかに仲の良い夫婦でも、金がなくなって家政が左前になると、犬も喰わない喧嘩をやるではないか。国家の事だってそれに異なることは無い。財政が困難になると、議論ばかりやかましくなって何の仕事も出来ない。そこへつけこんで種々の魔がさすものだ。

すべて世の中を治めるには大量寛大でなくては駄目さ。八方美人主義では、その主義の奏効にばかり気を取られて、国家のために大事業をやることは出来ない。

おれはこれまでずいぶん外交の難局に当たったが、しかし幸い一度も失敗はしなかったョ。外交においては一つの秘訣があるのだ。心は明鏡止水のごとし、といふのは若い時に習った剣術の極意だが、外交にもこの極意を応用して少しも誤らなかった。かういふ風にきりぬけうなど、あらかじめ見込みを立てておくのが世間の風だけれども、これが一番悪いよ。おれなどは何にも考へたり目論見たりすることはせぬ。ただただいっさいの思考を捨ててしまって、妄想や雑念が霊智を曇らすことのないやふにしておくばかりだ。すなわちいはゆる明鏡止水のやふに、心を磨ぎ澄ましておくばかりだ。かうしておくと、機に臨み変に応じて事に処する方策の浮かび出ること、あたかも影の形に従ひ、響きの声に応ずるがごとくなるものだ。

政治は理屈ばかりで行くものではない。実地に就いて人情や世態をよくよく観察し、その事情に精通しなければ駄目だ。下手な政論をきくよりも、無学文盲の従の話は、純粋無垢で、しかもその中に人生の一大道理がこもって居るよ。

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