Category Archives: 議員日誌

議会便り編集委員会

今回の議会だより編集委員会は、大きな進歩がありました。前から懸念事項でありました、議会便り発行の遅さが改善されることとなりました。益子町の議会便りは議会開催月の3ヵ月後に出るという、郡内最遅の発行スケジュールでした。これを1ヶ月縮めることになりましたので、真岡に次いで郡内2位の速さに大躍進することとなります。やれば出来るのですね。実際には8月に出る議会便りからが早い発行になります。何しろ3月議会の報告便りが、6月1日発行では賞味期限切れですものね。6月議会の報告発行は8月1日に行えます。これくらいが普通でしょうね。良かったよかった。

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早春の雨巻山

本日晴天に付き、雨巻山に登ってきました。実は始めて登りました。益子の雨巻山に年間延2万人以上が登っていると聞いてはいましたが、それだけの環境を整えてくれている益子いくべ会の皆さんには感謝にたえません。この3月19日にはいくべ会の11年間の自主整備に対して栃木県経済同友会から表彰状が送られました。実に素晴らしい山です。今日は沢山の春が私達を迎えてくれたので、疲れも感じませんでした。益子の大切な魅力として、町としても育ててゆきたいと切に感じました。

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小説 吉田松陰を読み終わって

東京de寺子屋の先生である山口先生から、松陰を学ぶには山岡荘八の松蔭が良い。と伺ったので、本を手配して読んでいました。単行本2冊なので比較的読みやすかったのですが、内容は非常に濃くて、感動しっぱなしでした。松蔭の功績や事件はある程度知ってはいましたが、いかにして彼が出来上がっていったのか、父母から親類縁者、朋友から師、弟子に至るまでを把握し、改めて彼の行動を理解することが出来ました。あまりにも純粋な尊王攘夷の火の玉。神国日本のために、君主毛利敬親を日本一の殿様にするべく自分も日本一の学者にならねばと、鬼神をも泣かしむる猛勉強を続け、学びて行わざるを潔しとせず、死して後已むのくじけない実行力。そして更に昇華して、死して後も已まずの思いを込めた留魂録を処刑の前日に書き上げて、弟子達に明治維新をやり遂げさせた天下の大教育者。大いに松蔭を知ることが出来ました。山岡荘八の小説は始めて読みましたが、彼の松蔭への理解の深さに感銘しました。山岡氏の根底に、松蔭と同じ思想が流れているからだと感じています。私にも同じ思想が流れていると感じ、いかに実生活でこの学びを生かして行けるのかを模索します。今日やれる事を今日精一杯やる事を、松蔭はやり続けました。少なくともこの一点は、皆で出来ることです。惰眠をむさぼらず、全力で今日の生を活かしきろうではありませんか!

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小学校建設に関して

30日に益子小学校建設検討委員会がありました。昭和42年に建設した普通校舎や管理棟の耐震強度が不足しているための建替えですが、委員会は随分意見が飛び交いました。危険な状態であるという認識は共通しており、現状のままではいけないということも異論はありません。しかし統廃合という点で意見が出され、それぞれが意見を言いました。私は恐らく今から20年後以降には統廃合已む無しと思っています。出生率が1.2ほどなのですから、今の1年生が親になる頃は、子供の数は半分になることが計算できます。そのときに古くなった西小学校を建て直すことは現実的でないと思っているので、そこで益子小学校との統合が想定できるのです。将来の統合時に今度立てる益子小学校をいじらなくて済むように今回建てるのか、あるいはその時点で再度統合小学校として建替える事を想定して、今回の建物の耐用年数を考えるのか、どちらにするかで投資の額や建物の仕様が大きく変わってきます。この点は大いに議論するべきと思っています。この議論を省いて、今の状態がとりあえず続くとしての建設検討は、為政者の行う投資ではないと思います。計算どおり人口減を想定してシュミレートするのか、新たな人口増加の作戦を練って、作戦目標達成の為のインフラ整備を先行して進めるのか、とにかく考えてから進めなければと思っています。

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立志式後の大人の動き

去る2月4日に益子町でも立志式がありました。私は益子中学校の式に参列しましたが、今年の誓いの言葉は、彼らの創作による詩の朗読でした。全員で堂々と読み上げた詩にはDVDの映像の効果もあって、多くの会場の方を感動させました。式の終了後、傍にいた先生との会話で、素晴らしい詩なので多くの人に知らせたい。今の中学生の素直で素晴らしい姿を知ってもらいたいね。と意見を交わしました。私はその後、地元紙である下野新聞の読者投稿覧で、彼らの詩を1部分紹介し、彼らへの期待と、それを支える大人達の奮起と連携を訴えました。そしてうれしいことに、本日発行のもう一つの地元紙・真岡新聞に、2編ある詩の内、私が紹介した方でないもう一遍の詩を今度は全文載せていただけました。先生が動いてくださったのだと思いますが、子供達に感動を与えてもらった大人が、感動しっぱなしにせず、良かれと思ったら行動を起こしてゆく。それが連携されたことがうれしくてたまりません。大人の背中を子供達はじっと見ています。背筋を伸ばして、懸命に生きる生き生きとした大人が沢山いれば、子供達のよさは伸びるのだと思います。

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吉田松陰と二宮尊徳

※松陰先生墓所      ※松陰先生座像・手水舎   

吉田松陰を祭った松蔭神社をお参りしてきました。また、明治天皇がお求めになった伝説の二宮尊徳像を見てきました。どちらも幕末の偉人ですが、二宮尊徳は安政3年に69歳で亡くなり、吉田松陰は安政6年に30歳で亡くなりました。活躍の場面は全く違う2人ですが、私はどちらも大好きです。どちらも大の読書家で、武士と農民という階級に関係なく、大哲学者であり、大実践家でありました。松蔭自身は明治維新を見ることなく処刑されてしまいますが、門弟の伊藤博文や山形有朋などが維新後活躍し、維新前に亡くなった高杉晋作、久坂玄瑞など多くの気骨ある若者を育てました。二宮尊徳も自身による農政指導は600ヶ村を超えて、数万人の飢えを救いました。弟子達がその後を引き継ぎ、現在もその思想は報徳という言葉と共に受け継がれています。現代の教育に必ず深掘りして欲しい偉人達ですが、公教育ではなかなか取り組んでいません。私達が学んでお伝

えするほうが早いと思い、今学んでいます。

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教育特区・世田谷のこころみ・教科日本語

平成19年度に始まった世田谷区の日本語教育ですが、やっと3年目に入るところですので、手探りで進んでいるようです。小学校  で3冊中学校で3冊の世田谷独自の教科書は実に素晴らしいです。教育委員会が教科書を制作し、学校や先生方をサポートしています。昨日その教科書を買ってきました。少しお話も聞かせていただいて、思いの深さを感じました。国際化・情報化・価値観の多様化などで、日本語の乱れは加速してきています。正しく言葉を使えないことによる表現力の欠如から、人と話すことがおっくうになり、多くの若者は人間関係が得意では在りません。「美しい日本語を世田谷から」をテーマに小中一貫した日本語教育を進めています。大いに成果を期待しますし、益子にもこのよさを輸入できないか研究します。

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