尊厳死を考える(文藝春秋を見て考える)

新聞の雑誌広告欄を見て、思わず、初めて文藝春秋を買いました。平穏死・尊厳死についての記事が出ていたからです。“胃ろう”という医療行為があります。年寄りが食べ物を上手く飲み込めなくなって、誤嚥性肺炎を起こしやすくなったら、胃に穴を空けてチューブで栄養を送る医療行為です。病院で肺炎が治ると、もう置いて置けないので、自宅かホームへ帰るわけですが、また誤嚥で肺炎になっては困るので、胃ろうの手術をして帰すという例が増えています。しかし、胃ろうをしても、横になっているときに逆流したものを誤嚥してしまうとか、食べなくなった口で発生しやすい雑菌を唾液と一緒に誤嚥するとか、防げないのも事実です。むしろ食べるという機能を取り上げて、楽しみも他の能力も落ち、体の必要以上に栄養が入ったり水分が入ったりで、むくみが出安く、良いことは少ないのです。

胃にチューブなど入れずに、食べられるだけ何とか食べて、自然にかれて行きながら、また誤嚥性肺炎を起こしても、徐々に痩せて死んでゆく方が幸せだと思っています。如何に死を遠ざけるかではなく、いかに自然に死ねるかが重要です。人も犬猫も、他の全ての動物も、食べられなくなって、徐々に衰えて死ぬのが自然です。自然に死んでゆくために、老人に関しては、この安易な胃ろう手術は避けるべきだと私も思います。

世界一の長寿国を誇る日本ですが、果たして他の先進国は、それほどの長寿を目指しているのでしょうか?私は、成熟した大人の考え方の国々は、それほどの長寿を目指さないと思います。それがいたずらな医療費の高騰を生み、現役世代の保険料を押し上げて購買力を低下させ、国を弱体化させる事を知っているからです。ましてや少子高齢化の国では致命傷です。己の足元も見ずに、長寿を喜んでいる国民は、無知か偽善者かドリーマーです。いずれにしても国民として成熟していない証拠だと思っています。

死を、如何に自然に苦しみ無く迎えるか。この研究が大切であると思っています。以前、緩和ケアの先生と話をしました。ガン末期でもほとんど痛みも無いまま、キレイに死なせることは可能だとおっしゃっていました。麻酔と下剤や内服薬で可能なのです。その病院で亡くなった、更なる抗がん剤治療より緩和ケアで死ぬことを決めた、10代の少年の話も聞きました。人は死に方を選べるような法律がないといけません。今の日本の刑法では、何もしないで患者を見取った場合、保護責任者遺棄致死罪(刑法219条)に当たるかもしれないというのです。気管内チューブをはずしたり、人工呼吸器をはずした場合、家族の希望であり医者も適当と認めた場合でも、訴えられる可能性があるのです。これを認める法律が、必要であると、緩和ケアの先生と意見が一致しました。先生は団塊の世代の方で、「自分達の代で、医者側からこのことに関するあるべき法律の提案が出来ることが望ましい。我々が80歳になる頃に、今のままで、死なせてもらえない老人だらけで病院は埋まり、本当に治療が必要な若い命が助けられる機会が奪われる。医療費で国が破綻する前に、その破綻を招く当事者である団塊世代から、自分達の死に方に関する法律を提案することが急務であり、避けて通れないことだ。」とおっしゃっていました。まさにこの議論は誰も行いたがりませんが、今行わなければならないものです。

尊厳死とは、自分の尊厳を守って死ぬという意味です。つまり1つには、みっともない姿で生き恥を晒したくないということ。2つには次世代に対して、自分以外の方々に対して、自分の生への執着から迷惑を掛けたくないということ。3つには死を恐れない、死を受け止めて安心立命して神仏に帰依、または達観している者の証として、様々な意味があります。

尊厳死・平穏死を促進できる法律の制定に、できれば尽力したいものです。財政破綻を起こす前に、この2年のうちに、間に会ううちに、早く制定したいものです。

投稿カテゴリー: 議員日誌. 固定リンク.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA