尊厳死について・・私見

私の知り合いが、新聞投稿に「尊厳死」について投稿していた。自分も70をすぎ、3月に超党派の国会議員により公表された尊厳死法案に対して、賛同できるという内容だった。私も同感であり、数年前から自論として持っている。

何年も施設に入った寝たきりの親の洗濯物を、週に何回か取り替えに行っている70過ぎの夫婦と話しても思ったし、母親が90歳の時に、繰り返す肺炎を防ぐために、チューブで胃に栄養を送る「胃ろう」という治療の開始を医師に迫られ、治療なしなら家に連れて帰らなければ成らず、胃ろうを始めれば病院に居られるが、その代わり何年かよけいに生きるでしょうと言われての選択で、胃ろうを選んだ当時70代の娘さん。そして母親は今年99歳で、生きる屍状態だが今も世話をしている80を過ぎた方の苦労話を聞くにつけ、緩和ケアを行っている医師の今までの患者さんの生と死の話を聞き、自分が団塊の世代の医師だから、自分たちが自分たちの尊厳死についてレールを引かなければならないと言う、次世代への負担を潔しとしない考えを聞くにつけ、さらには、両手足が動かないおばあちゃんの食事介助をしたとき、毎日ベッドでおじいちゃんの写真を見ながら、早く迎えに来てくださいと泣いている姿を見てつくづく思う。現実の日本の医療費の上昇と、団塊世代が80過ぎになる頃のさらなる医療費の急上昇を見据えても、どうしても避けては通れない課題なのです。執拗な医療行為は果たして人間のためなのでしょうか、それとも医学の進歩という名の人類のエゴなのでしょうか。

クリントイーストウッド監督主演の「ミリオンダラーベイビー」という映画で、安楽死を扱っていました。アカデミー賞4部門獲得の映画でしたが、映画のケースなど、まさに早く死なせてあげたいケースでした。現在オランダ、ベルギーは安楽死法、フランス、アメリカはオレゴン州、ワシントン州などは尊厳死法を成立させています。

私は少なくとも「リビングウィル・尊厳死の宣言書」は、もう書いて所持しておこうと思う。私は様々な経験と学習から、生きることは、自分以外の何かしらに役に立つことが目的だと信じている。役に立てなくなったら私の生の目的は終了するので、動けなくなったら死なせてほしい。本気でそう思っている。その意志は、意志の示せるときに継続的に書いて所持しておかなければ、いざというときに間に合わない。フランスでは3分の1の成人が書いていると聞く。日本に比べて、国民が大人なのだな~と思う。

死を考えるときには、生きるという事を深く考えないと答えは出ない。死に対して腹が決まってくると、生を活かし切ることに力が入り、よりよい生を生きられるものだと教わっているがその通りだと思う。

投稿カテゴリー: 私見. 固定リンク.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA