友人訪問  ホームスクールの話

ホームスクールで子供を育てている友人を久しぶりに訪問した。行くといつも話が長くなって、今日も2時間は居て話し込んでしまった。確か今年で4年目になると思う。きっかけは、下の子供の小学校1年生時の学校との見識の違い。自然児?的な自由奔放さに困った学校が、特別教室への移動か転校を打診して来たことだったと思う。結局はIQが高いことが原因していたことが判明したが、その間に友人夫婦は、ホームスクールでの子育てを決心し、今も行っている。今年中学生になるお兄ちゃんも同時期からホームスクールにしている。当時自分で判断させたときは、1ヶ月間吐くほど悩んで自分で決断した。

心配していた社会性は、家族という社会の中での教育がしっかりしているので、同年齢に比べてむしろしっかりしている。友達も自分で選んでつながっている。学力に関しては、どうもすごいことになっているようだ。物事の見方や考え方、思考の作り方や組み立て方の回路をしっかり作ることを先にやっているので、尋常ではないらしい。私の一般の回路とはもう既に異次元だと思う。

選んだ道をしっかりと着実に、問題点も意識しながら組み立てているこの夫婦も尋常ではない。学校や教育委員会にも必要な報告はして状況は共有しているので、お互い無理はしていない。適度な距離の中で共存している。この共存できるバランスのある夫婦だから出来ていることであり、はっきり言って能力が高い。私にはとてもまねできない。

私は時々訪問して自分の肥やしにもしているし、何か必要なときは声を掛けてもらえる窓口に成ろうとしている。子供達も気になるし。

今の学校制度や教職員、カリキュラムや制度などについて、実際はどこまで考えて出来ているのかはなはだ疑問になってくる。この夫婦と話していると本当にそう思う。教育にとって本当に必要な事は何なのか、教育の目的は、教師の本懐は、大人社会の責任は、政治の目的は、国家の目的は、そのための制度は、指針は、理念は・・・いろいろ考えなければならないことがたくさんある事に気づく。考えてから行動しないと無駄になってしまうことが多い。現実今の日本の社会は、その無益な仕組みの中での無駄を積み重ねている日常が多く、まずはそこに疑問を持たなければ始まらない。よく見ればそんな矛盾は簡単に見つかる。

1つでもその解消に尽力したいと、町議という、最も小さな単位の政治に関わる者としてそう思う。

投稿カテゴリー: 教育, 私見. 固定リンク.

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