宮城県山元町でのボランティア

21日は、宮城県山元町へ、益子町社会福祉協議会のボランティア活動で行ってきました。社協主催のボランティアはこれで3回目で、3回ともご一緒しています。私は町民で不足が出たら行こうというスタンスなので、いつもすぐには電話せずにいますが、締め切り前に今回は社協からお誘いの電話が入り、きっと定数未達なのだろうと思い参加しました。総勢23人、でも、他のチームの倍は働くメンバーでした。毎回そうですが、益子のチームは平均年齢が結構高いのに、仕事の進み具合は怒涛のごとくです。今回も、若手社員を導入してきていた会社さんの仕事量の2倍以上はやったでしょう。そのかわり体はくたくたで、本日は腰から腕から痛くて動きが変です。見ていて思うのは、我々ほぼロートル軍団は、現地に着いたらすぐに、各々が指示なしでも動き出します。自分のやるべき所を自分で見つけて、流れ作業がさっさと始まります。終始全員に無駄がない感じです。比べて若手軍団は、同じところに皆が固まっていて、やる人と見ている人に分かれているような感じです。勝手に散らばらない、勝手に始まらない。これは大きな違いです。ですから遅れて入った私達が、人数も多い若手軍団の2倍以上の仕事を、しかも仕上がりも美しくこなしてしまったのです。次の日の体調はここでは計算に入れませんが・・。

山元町は、町の半分が津波で流された町です。全壊が2000戸を超えます。仮設住宅もあり、何千人も、避難生活を送っています。その方々が早く元の地域に帰りたくても、生活排水の側溝が埋もれていては帰るに帰れない。だからボランティアの方々にお願いしたいという思いを聞いてしまっては、みな、怒涛のごとく進んでしまうわけです。山元町は、ものすごく広い整備された田んぼが延々と続く農村地域で、第一次産業が最も多い町なのですが、田んぼは海の塩で米が作れず、しかし塩ヌキもなにも、相手がでかすぎてどうにも手がつけられないのが現状です。時間を相当かけないと、評論家やニュースキャスターが無責任にせかすようには、事は簡単には進みません。本当に人生を見直す、哲学的に物事を考えさせられる今回の大震災でした。

また、空いてたら、行こうと思います。

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