東京de寺子屋・台湾近代教育の父、六士先生

28日に表題の通り、六士先生の事を学びました。全く始めて聞く名前でしたが、実に立派な方々です。現在日本では教えていない立派な先人達が五萬と居る事をいつも気づかされます。日清戦争の勝利によって日本が台湾を統治した際、現地での日本語教育のために真っ先に派遣された6人の先生達が、半年後に6人全員ゲリラに惨殺された事件が在りました。ゲリラの危険を指摘されながらも、教育に携わる文官として危険だからといって職務をゆるがせには出来ないと非難を断った先生方でした。事件当時第2陣の先生方が募集されていましたが、事件が伝わった後でも500名ほどの応募があり、そのうち45人が選ばれ、事件から半年後に台湾に赴任しています。六士先生の志を継いで、更に毎年教員を増やし、日本による教育は浸透し、統治開始当時1%だった台湾の就学率は70%にまで達して、結果的に近代台湾発展の礎となりました。初めての民選による台湾総統となった李登輝他をはじめ、日本統治時代の教育や徳育のプラス面を訴える人は多いのです。台湾も朝鮮も同じですが、日本が統治したところでは教育を重んじると共に、インフラ整備や技術移転など統治先への投資が膨大で、決して搾取するばかりの欧米の植民地政策と同じではなかったのです。欧米列強の植民地政策を追い出し、純粋に大東亜共栄圏を目指した多くの日本人が居たことを、公教育では一切教えてくれません。立派な日本人作りはどうやってなしえるのか。自分事として取り組むために、寺子屋には通い続けます。

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